ゴーゴー!音々の精進日記!

とりま走ってる人生をイケてるランニング人生にしていきたいのサ❗️

エセ一人旅

飛行機でオフラインの中、ばばばばばばばと書いていた日記が全て消えており絶望
しかしすぐにそのことを予想してデフォルトのメモに書き込んでいたことを思い出す
嬉しい


日記


飛行機でダウンロードしてある音楽を聴いていたら使っているヘッドホンの様子が急におかしくなり始める
左右の音量差がぐわんぐわんと変わり、音割れしするようになった
随分前にAirPodsの左耳が音割れし、使えなくなってしまったので
大切なヘッドホンまで・・・と戸惑っていたが、しばらく音割れの中音楽を聴いてると、これは故障ではなく気圧の影響だということが分かった
鼓膜の圧迫感に比例してたまに音が安定する
その時、無機物であるヘッドホンが、いきもののような気がしてグッと愛着がより深まった
気圧に弱くてへこたれ、音割れしちゃうけど頑張ってたまに元に戻ってくれる愛おしいヘッドホンくん
これからも君には頑張ってもらうよ
そんなヘッドホンくんを過酷な状況で使い続けたら、もう本当に壊れてしまいそうな気もしたけど
最近聴いてなかった、擦れるほど聴いたアルバムだけを入れたプレイリストにランダムで流れてくる曲がどれも心地よく、申し訳ないなあ思いながら使い続けた


最近、誰に言われたかはもう覚えてないけれど1ヶ月の間に2.3回ほど 音々は言葉を大切にしてるんだねというようなニュアンスのことを言われた
大切にしているのかもしれない


隣の席の中年夫婦の旦那の方が、妙に斜に構えた感性の持ち主で、にも関わらず2人はそこそこの声量で話し続けており
薄く幕を張ったイラつきが、LCC特有の席の狭さと相まって眠りにつくまではずっとあった
客のマナーが悪い、安い飛行機だからだ、だの
〜〜さんは俺には別にイケメンに見えないとか
イビキをかいている客に対して、あんな生き方できたら楽しいだろうね、とかね
知らんけど、なんか無理
向こうも私のことが無理なのだろう、たまに冷ややかな視線を感じる
起床後、愛読書である滝口悠生のやがて忘れる過程の途中を読んでいたら、ヘッドホンを外しても中年夫婦の存在が気にならなくなった
飛行機は毎回予想以上に揺れるし、その度にこれは流石に墜落するのでは、と思う


アイオワ日記を飛行機で読んでおいてのは結構よかった
わざわざ沖縄に行くのに、2泊は寂しいしな、と
田嶋くんとカイくんより1日早く沖縄に来たが
行くのは良いが1人で何をしよう、、楽しめるかな、、と直前でかなりナーバスになっていた
キャンセル料がかからなかったら明日二人が行く便に変更していた気がする
1人の時間も原稿を書きながら散歩をし、得意ではない英語で会話を紡ぎ、目の前の光景と対話をする滝口さんの成分が今日この1日を楽しむスパイスになってくれる気がする
中年夫婦に対しても、ずっと楽しそうに会話していて本当に仲が良いな、信頼しあってるのかなすごいなあと思えるくらいには読む前から自分が変化している
離陸前からいびきをかいてずっと寝ていたおじさんが、着陸後到着寸前になって急に目覚めていて、すごい器用だな、、、と思った(乱気流や着陸時のガタガタ、赤ちゃんもずっと泣いていたし、起きるタイミングはもっとあったはず)


沖縄空港は内地から来たであろう厚着の人と、これから帰るのであろう半袖の人が入り混じっており、なんだか面白かった
現地の人はみんな綺麗に焼けており、わかりやすい
すぐ半袖に着替えたが、それでもすぐに汗がじんわり湧いてくる
この感じが懐かしく、夏に戻ってきたのだなと嬉しくなる
飛行機や新幹線はすっぴんで乗って現地で化粧する派なので早朝の便なのに女性がみんな綺麗に化粧をしていたことに少し驚いた
予想通りではあるが沖縄行きはカップルが多い、そういえば前来た時は私もカップルだった


沖縄の店員さん達はみんなにこやかでなんだか嬉しい
歩く速度など端々で自分の早さを感じる
たった4日間の滞在だが、少しでも自分のBPMを下げられた良いな、と思う


うっすらと世界に対して全体的に嫌悪ベースになっている感覚がある
私は自分が割とポジティブで元気なタイプであるという自信があるが、赤ちゃんが泣いてる時、知らない人に話しかけられた時
前は素直にあったかい気持ちになっていたはずの出来事に対し、最近は割と嫌悪タイプの感情が湧く
もちろん他人との関わりに対して嬉しいなと思う事も多くあるが、相対的に以前より知らない人を不快に思う機会が急にグッと増えた
道を塞いでゆっくりと歩く人たちへの苛立ちが特に顕著だ、自分が窮屈な大人になっていっているのでは、と不安になる


着陸し、機内モードオフの縛りがなくなった瞬間にインスタを開く若者を横目に現代人ですな〜と心の中でつぶやく
とか言いつつ自分もbumbleの通知を無意識に開いている、そのことに気づき苦笑いをしながら携帯を閉じて外を見た
それでもヴーヴーなる携帯に我慢できず、通知を確認した


オンラインチェックインの便利さに驚く
全部これにしてほしい


寝る前に出発時間を確認しておいたつもりだったが10分ほど勘違いしており
これに乗らないと飛行機に乗れないかもというバスに乗り遅れる可能性が出てきた
GOでタクシーを呼び、バス停まで飛ばしてもらう
規約的にも急いでほしいとお願いすることは良くないとわかりつつ、申し訳ないのですが・・・と30代くらいの優しそうな運転手に急いでる旨を伝える
全力を尽くしますと心強い返事をくれた運転手は、急ぎながらも丁寧に運転してくれて、心の中でありがとうありがとうと思う
頑張れば30分に着けそうです、と教えてくれたが、バスの出発時刻が30分
半分諦めの気持ちになってきて、急ぐ気持ちが落ち着く
どうにかならないかと成田までの他のルートを調べていたら29分にタクシーは到着した
ここで大丈夫ですか?と言ってくれた運転手に大丈夫です!!ととりあえず答え、急いでお礼を伝えタクシーを出る
走ってバス停に向かうと、まだバスは出ていない様子
安心感と共に運転手に対して感じていた感謝を伝えきれなかったな、という後悔も押し寄せる
しばらくするとバス停の横を乗っていたタクシーが通り過ぎる
手で大きく丸を作り運転手にアピールする
運転手も気にしてくれていたのかこちらを見ており、笑顔でペコペコとしてくれた
伝えそびれた余分な感謝を伝えるべく、手を合わせてこちらもペコペコする
向こうも負けじとペコペコしていた
信号が青になりタクシーが通り過ぎていくので大きく手を振った
感謝を伝えられたこと、良い運転手さんに出会えたことが嬉しくて、気持ちがあったかくなった
その後初めてタクシーの乗車評価をした
急いでくれた、と書いたら彼が怒られてしまうかもしれないと思い、丁寧で優しかったと書き込む
もうあの運転手さんに会えないことが、なんだか少し寂しくなる
私と運転手さんは、会話は全くしていなかったが確実に同じグルーヴの中にいたと思う
良い運転だったと思ってくれていたら良いな


今日泊まる場所を決めていなかったので空港のA&Wで念願のハンバーガーを食べながら一番安い宿を予約する
ネカフェ泊のつもりでいたが、1600円でドミトリーを予約できたのは嬉しい誤算
体力的にも荷物的にも動けないと判断し、空港で時間を潰してから宿に向かう
隣に泊まっている人が明らかに家出大学生ぽく、少し凹む
ベットの仕切りの横に奨学金の案内とありとあらゆる生活用品が乱雑に置かれている
長く滞在している様子
釜ヶ崎の研究で知った、ワーキングプア層などのネットカフェ難民存在と無意識に重ね、ギャルっぽい彼女のことを横になりながら考える
仕切りを挟んでも香水の匂いがする


起きたら21時
前日、友人たちと終電まで飲み、そのまま家に帰り準備をしほぼ寝ないで家を出たので爆睡してしまった
狭い空間が逆に心地よい
手の届く場所に全ての自分のものがある安心感
化粧をして外に出る、夜でも半袖で余裕そうだ
自分は今ステーキ腹であると判断し、近くに三軒あるステーキ屋さんから一番ギラギラしている店を選ぶ
隣の席にきゅんですの人たちがおり、ここは東京か!と心の中でツッコミを入れる
食べ放題のスープにマッシュルームスープがあり、テンションが上がる
今思うと、肉を300gではなく200gにしておいて、もっとスープを飲めばよかった
youtubeを見ながらご飯を食べていると、とうとう沖縄感はなくなってきた
トータル4400円、自分のせいでもあるが沖縄ぽくない夕飯にこれはやりすぎたか、と少し反省する
直前に臨時収入があったのだが、自分で稼いだお金じゃないと金遣いが荒くなるようだ
これ以降は考えてお金を使うぞ、と自分に言い聞かせる


滞在している宿もステーキ屋も過去何度か来たことがある地域で、マップを見ながら歩いているとほぼ全ての景色に見覚えがある
海でも見ながら本を読もうか、とマップを閉じて散策を開始する
それでもやはり人が恋しくて、インスタを見てしまう
一人旅をしている意味がないではないかと思いながらも友達から連絡が来ると嬉しい
心ゆくまま風俗街を練り歩いているとボウリング場に行き着いた
グッと心奪われるが勇気が出ない
エイヤ!と中に入るが、それでもまだやる勇気が出ない
トイレに入りハナに連絡すると、ボーリングある種のスポーツだからバッティングセンターと同じよ、一人楽しいよ多分、やってみろ、いけ、と即返信が来る
遠隔でバンと背中を押され1ゲーム申し込む
大人数でボウリングを楽しんでいる集団の横に配置され、店員さんも意地悪だなあと思う
画面に表示された中村、の文字に少しツボる
ネイルしている女性のためのボールを発見し使用
確かに掴みやすい
ニルバーナを流し気分を上げてゲームを始める
ガーターばかりでも想像以上に楽しい
自分が予想以上にどんどん上手くなる感じがして、嬉しかった
1ゲームで終わるつもりが、もう1ゲーム継続
途中ゲーム結果が表示されている横の液晶で始まった吉岡里帆とシソンヌの長谷川のテレビ番組がつまんな面白く、目が奪われ始めた瞬間、またガーターしか取れなくなった
程よく汗をかき外に出る、ほんの少し歩くと次はゴルフの打ちっぱなしを発見した
前に沖縄で打ちっぱなしをした時、その安さと楽しさで感動したのを覚えている
ボウリングを一人でできた私は無敵モードだったので、迷わずズンズン入る
23時半最終受付で、今は23時22分、タイミングが良い
優しい店員さんに勧められたクラブで打ち始める
予想とは違って、遠くに飛ばすクラブではなく近くに打つクラブのよう
前にやった時よりも確かにコツを掴みやすい
自分で動画を撮りハナに送る
大爆笑の返事があり、嬉しくなる
ボウリングで撮った動画と共にインスタのストーリーに載せるといろんな友達がウケ半分驚き半分の連絡をくれる
それがまた嬉しくて、ゴルフもより楽しくなった
youtuberがよく、動画にすると思うと色んなことができると話しているのを聞くが、結果的にその感覚を疑似体験しているような気がした
誰にも連絡できず本当に一人だったら、ボウリングもゴルフもしていなかったかもしれない、今私は確実に一人だが、咳をしても一人なわけではない
誰かの反応のために一人で遊んでいるわけではないが、そうだとしてもより濃厚に旅を楽しめているなら、それはそれで良い体験だと思う
それでも携帯ばかりに集中するのも違うなと思い、携帯をしまい123球でゴルフを辞めヘッドホンを外して外に出る
ゴルフ中はゴリラズを聴いていた


やっと目的地の海に到着
だいぶ遠回りをしたが気分が良い
当初はステーキの後すぐ、ここで本でも読もうという計画だった
那覇唯一のビーチということもあり深夜でも人が多い
タバコを吸いながら友達と連絡をしていると周りから、普段映画見る?Netflixのさ〜という話し声聞こえる
ビーチに来てもやっぱりそういう感じなのかー、と思っていたが
海を見ながら友達とDMしている私も同じようなものなのかもしれない
外人が横でハローハローハローとずっと言ってるのを無視しながらやっと本を開く、同じ外人が一定の距離を保ってずっとこっちを見ており居心地が悪い
3.4ページで本を閉じ、やっぱり日記を書こうとノートを開いた
日記に没頭していると周りにたくさんいたカップルや集団は誰もいなくなっていた
携帯を通知オフにすると、途端に一人の時間がやってくる
それが面白く、嬉しい
通知溜まってるかな、とワクワクしながら開く瞬間もまた嬉しい
これは手紙の返信が来ていないかとポストを見る昭和の人たちと同じワクワクのはずだ
無闇に現代ツールを批判せず、より人生を楽しむものとして依存せずに扱えれば、これもまた良いものだなと
なぜか沖縄で携帯とSNSのありがたみを感じた
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高尾山とダブスタ

朝、私は割と完璧に準備を済ませ定刻通りのバスに乗り、2限の大学の授業に余裕たっぷり間に合う気満々で、行きの電車では何をしよう、などと考えていた
がしかし、朝母親と京王線はすぐ電車止まるからクソ!と愚痴っていたバチが当たったのか、乗っていた京王線は遅延し、さらに乗車した代替えの電車をブライアンイーノのせいで寝過ごし、結局高尾山にまで出てきてしまった
普段高尾山から数キロしか離れていない大学に週2.3で来てるはずなのに、何も知らない土地に来たような感覚があった
特に高尾は登山客も多く、さっきまでいた笹塚で見た、電車が遅延していることへの苛立ちを隠せない人たちがわんさか立っている駅のホームからは一変、和やかに観光客同士がどうしようかね〜という感じで会話をしており、あたたかな空気が流れていた
外国人観光客に率先して案内をしてあげてるおばさんまでおり、なんかかなり完璧な状況だった
さっきまでは時計をこまめに確認しながら多少イラついていた私も、もうここまでくると割と全てどうでも良くなり、ボニャーという感じの余裕が生まれた
今日は読み進めている学術書以外にも、電車で読む用にコミティアで買った神田さんのzineを持ってきている
2.3冊からどれを持っていくか朝かなり迷ったが、結果的に良いチョイスだったと思う
今自分が感じている晴れた多摩の空気と、電車の暖房が生むフーディの中にこもった良い感じのぬくさが、ちょうど良く合う本な気がした
パラパラとそのzine『ヨソモノ紀行 尾道』を読みながら高尾駅で次の電車を十数分待ち、大学の最寄り駅であるめじろ台を目指す
家を出たのは9時15分ごろ、今は12時19分
もう3時間も経っている
永遠に到着できない気がした大学の最寄駅には意外と、ひょんに、すんなりと到着した
なんだか少し拍子抜けする
しかし長旅を続けた後だといつもの最寄駅もなんだか新鮮に感じる
遅延証明書があるし、授業には最悪間に合わなくともなんとかなるだろうという安心感のもとバスを待つ
バス停で女子高生が紅葉で色づいたモミジを大切そうに持ってたり、椅子に座ったおばさんが両手を組んで何かずっとお祈りしていたりしているのを見て、良いなと思った
普段の登校の際に同じ光景を見かけても何も感じなかった気がするし、気づかない可能性すらある
しかし爆裂に混んでるバスに乗り込んで、2人席に1人で占領して座るおばさんを見たら、うぜえって気持ちになって今まであったのんびり旅気分は急に消え去った
所詮私はせっかちなシティガール、イェイ
聴いていたリーペリーの心地よいレゲエのリズムが急に体から浮いているような、そんな乖離を感じる
そこから思考は周り、よくイラつき、ストレスを消費行動で発散する、極々資本主義な自分がこんな曲を聴いてて良いのかと自問自答が始まる
父親がルーツレゲエを好きなので、小さい時からレゲエに慣れ親しんで生きてきたが、歌詞を知った頃から東京で生また私文の私がこの曲を聴いて踊っていても良いものか、と後ろめたさを感じるようになった
それでもレゲエは好きだ
異国の曲を聴いてるとこのようなジレンマをしばしば持つことになる
どの程度このようなモヤモヤに向き合うべきなのか
ひつとの曲からサウンドだけ感じ取り、味わうこともまた確実にひとつの音楽の楽しみ方だ
しかし自分の罪悪感に耐えられない瞬間は少なからず存在する
音楽だけではない、SHEINの服を買いながら、バングラディシュを思う時
マックを食べながら、ガザのことが頭にチラつく時
日々自分の犯しているダブルスタンダードに罪悪感から心拍数を4〜5あげつつ、たまに行動を控え、ふと勉強をし、しかしやはり目を瞑り間違えを重ねながら生活している
日本という恵まれた土地に生まれたのなら、無意識に私たちは加害者なのであり、夢や希望について語る権利がないと豪語する知り合いの話を聞いたことがある
極論と比較して自分の行動に安心したいわけではないが
今このような情勢の中で、すっきりと心の底から何かを消費することはもはや不可能な気すらする


ブライアン・イーノにハマっている(最近まで何故かトム・ヨークと区別がついてなかった、全然違った)
今年の夏にせいたろうが東京に遊びにきた際、私のマンションについているホテルに泊めたので、3日ほど一緒に過ごした
その中でせいたろうの寝る前ルーティーンを一緒に行った
色々工程はあったが、印象的だったのが2つ、ヨガとアンビエント
まず色々寝る準備を整えた後に自律神経を整えるという寝ながらヨガを40分やる
この時点で割とかなりキマる
その後にせいたろうが部屋にかけ始めたのがブライアンイーノのmusic for airportsだった
その日のことは本当によく覚えている
今までの睡眠が全て睡眠ごっこのように感じるくらい、脳みその隅々までシンとなるレベルで熟睡した感覚が起きた瞬間にあり、快調も快調の起き起きであった
その日からヨガ(belife)にもブライアンイーノにもハマってしまった
泊まったホテルには1人一つダブルベッドがあり、スペース的にもクッション的にも最高のヨガ環境が準備されていたが、家でやるとなるとシングルの2段ベットで普段寝ている私はなかなか日常的に完璧な寝ながらヨガをすることができない
てなると使えんのがイーノ
昨日の夜、ハマっている映画監督の阪本裕呉作品によく出ている俳優の伊能昌幸について考えていたら無性にドキドキしてしまい何故か全く寝れなかった
授業中にぼーっとするのも嫌だし、大学まで片道2時間の私はいつもこういう時電車で爆睡するよう努めている
今日もそうだ
振替輸送である中央線に乗り込み、ヘッドホンで爆音のブライアンイーノを流す、電車の窓のひっかかりに頭を起き、気づいたら口をガン開きにして高尾山駅にいた
本当に物凄いおねんねパワー
しかもただ寝れるだけではない、超快眠のぐっすりスッキリ睡眠が可能なのだ!
生活の知恵・ライフハック、もっと貯めていきたい


アップルパイが実はめっちゃ好きなことを思い出した
なぜ忘れていたのだろう

友達とか親とか、近い人について

先日松下が私の実家に夕食を食べにきた
突然のことだったし、2時間ほどの短い時間だったが
母が名前を覚えていて、エピソードトークの時に名前を出せる数少ない友達のうちの1人だからこそ
二人を会わせられることがすごく嬉しかった、なんとなく
松下に言われて気づいたことが一つある
これは同性親子、特に女同士の場合そこまで珍しい話ではないのかもしれないが
私と母親の会話が健全でスゲかったらしい
朝支度をしながら思ったが、お互い家にいる間は基本的にずっと話しているし、それが普通に楽しい
数年前までは半年くらい口を聞かないのが普通だったので、確かに今の状況はかなり良いものな気がする
人といる時、なぜか母親に強く出てしまう自分がいるな、と反省しつつも
自分にとって母親と話している時間は大切なんだといことを確認できた良い夜だった


友達に一人、長く付き合っている友人のフォローを躊躇なく外せる奴がいる
仲良さそうにしていた交際相手を突然振ったり、話を聞く限り長く親密なのであろう友人のことを冷たい言葉で切り捨てたりということが当たり前にできる人だ
その人とは2回ほどしか遊びに行ったことはなかったが、バイト先を紹介してくれて一緒に働いていたので
多分向こうはもう友達とは認定してないだろうなという感じをヒシヒシと感じながらも週何回か会う、変な形の友達だった
簡単に人を切り捨てる分、逆に興味を持った場合も行動が早く、彼女とはTwitterで知り合ったのだが
彼女からの誘いで急に散歩に行くことになった、記憶が正しければ
そして次飲みに行った時にはもうアルバイトに誘われた
彼女が私のことを明らかに飽き始めてからも、私はなんだかずっと彼女のことが好きだった
前例を見たことがないレベルのドライさを持ち、自分の好む感覚を追い求め、不快さを徹底的に排除するために他人と全く協調しない所は
全く真似できないことが分かりながらも、私がずっと欲しいと思い続けているものだ
彼女とは2年ほど一緒にバイトをしていたが、最後の方になると他人と協調はしないものの人に不快な思いをさせないというスキルも獲得し
彼女はもはや完璧、完全体になっている感じがした
言葉を選ばずにいうと、他人すら自分の人生の娯楽の一部でしかないというような彼女の感覚は
人との関係を気にしすぎて、LINEの一つでさえウニョリウニョリと考える自分にとってエッセンスとして必要な要素だ
そういう意味では彼女と出会い、会っていた日々は、私にとってお守りに近い
他人を慮りすぎて息苦しくなる度に、私は彼女のことを思い出して
まーいっかと無視をする勇気をもらっている
また数年後、彼女の興味が回ってきた時に一緒に飲みにでも行けたら良いなと思う
私は待ってるよ!ぺしちゃん!!


会いたいと思う友人全員と会いたいのに、なかなかそれが実現できないことであるということを最近ひしひしと感じる
スケジュール 関係性 金銭、様々な要因があるが
こっちが本気で会いたいと言ってるのに社交辞令と取られる場合や、友達の友達だから会いたくても友達も挟まなきゃいけない場合、シンプルにえ、私再来月まで土日空いてないんだが?!みたいな場合もある
そう考えると今会いたい友達をリスト化して上からチェックを入れていきたい気持ち駆られる
最近誘う気軽さや確実にめちゃくちゃ楽しくなるという確信の強さ、毎回だいたい来てくれる点から、気づくと全部に松下を誘ってしまう
Twitterで絶対気合うし仲良くなるだろうな・・・みたいな女の子を、昔だったからなんだかんだご飯に誘えてた気がするが
今はなんかできない
賭け行動にどんどん出れなくなってきている
クラブから足が遠のいているのも、同じ要因な気がする
次の日寝ないで大学行っても、まあどうにかなるだろ!とか 知らん人ばっかだけどどうせ踊れるだろ!みたいな賭けに出ることが今はほぼもうない
思うと一昨年までくらいはほぼ全ての行動が賭けみたいなもんだった気がする
どっちの方が良いのかはわからないが、賭けの日々が少し恋しくもある
失礼なのも承知で会いたい人リストを作り、片っ端から連絡を入れてみるのもアリな気がしてきた
会いたい人すらがいなくなる時が、再来年にはきているかもしれない

 

膀胱小さいマン

朝からクンビアを聴いてる
昨日リールで見つけたKendrickのNot Like Usクンビアリミックスがかなり気に入ったので、こういうサウンドが私は好きなのか・・・?という確認を含めて
思ったよりもBPMが遅くて、そこまで刺さらない
いや好きだけどかなり、今日は早いのの気分なんだ
(ルーツレゲエとダンスホールレゲエみたいに、早い版のクンビアのジャンルも何かしらありそうだけど・・・)
それよりは同じく最近よく聞くようになったランチェラとかマリアッチの方が好きだ、よりパーティー感が強いし、明るい曲を聴く時、基本的に私は早さを求めてしまうらしい
両方とも南米音楽ではあるし、私はこういうタコス音楽(私が名づけた)がかなり好きみたいだ
最近音楽を聴く時、自分が好きなサウンドのジャンル区分を理解していると、お気に入りの楽曲にリーチしやすいということをやっと理解し始め、バイト中は基本的に音楽ジャンルのwikiを読んでいる
他に最近好きだと明確に意識し始めたのはエジプシャンタラブ
あまり人生で接点がなかった音楽を聴くと想像力が掻き立てられて、自分の主人公性が上がる感じがする
まあ平たく言ったらディズニー現象(私が名づけた)
あるよね?
あと普通にハウスも好きだ、内包ジャンル多すぎて刺さるやつと刺さんないやつある、当たり前だあね


片道2時間通学の身として、どうしてもタバコが我慢できず吸ってから教室に入ったら教授がインターネット的なサムシングのシステムに手間取っており、授業は始まってなかった
得した気分
この教授の授業は2年くらいとってるけど、ずっと何かしらに手間取っている
システムには弱いのに基本ずっと生徒をバカにした雰囲気を醸していて、この教授 ヤなカンジ
だから簡単なパソコン操作もおぼつかないんだよ!ぺ!
最近気づいてきたけど教授はやっぱり学者で、学生を見下してる人がかなりの高確率でいる
仲良い教授と飲み行った時も、酔って普通に暴言吐いてて爆笑した
そして帰ったあと私はひっそりしっぽり傷ついた


びっくりするほど浮腫んでいる
昨日、夜寝る前に母親が買ってきたコストコのニョッキの誘惑に抗えず、山盛り食べたのが原因だと思う
イカジェノベーゼうまかったなー
最近基本カラコンをつけているので、普通の透明デザインなしコンタクト(あってる?言い方)をつけているのも、鏡を見たときにフム?という気持ちを増幅させる
すっぴんの時、テキトーな化粧の時、バチバチの化粧の時、浮腫んでる時、体調悪い顔の時、
同じ顔のはずなのに自分の顔が安定しない
結果、自分の中でイメージする自己像がなかなか定まらない
それに加えて髪色や髪型、服も割とコロコロ変えるので、余計こんがらがる
自信とか、脳内の話で言うともっと流動的で
数ヶ月、数週間単位ではなく、数時間単位で自分への満足度も変わる(自己肯定感という単語を使いたくない者の抵抗)
結果いまだにずっと自分のことがわからない
事務的な、好きな味だとか好きな気温、ちょうど良い食事の量のような抗えない自分の感覚ですらコロコロコロコロ変わるし
どうすれば、いつになったら私は私のことがわかるのだろうか
頑張って言語化を重ねていても、変わり続けていることだけが分かり、一向に自分をコントロールできる日が来る目処が立たない
みんなもこんな感じなの?
友達のことは、友達が私に意識的にアウトプットした情報だけで、その友人像を作るのでそこまで困難はない
けど自分のことになると分かること、分析できる情報が多すぎて常に全てが矛盾し動き続けている
ちょ、ちょ、そろそろ疲れたんだけど笑笑笑笑


自己肯定感という単語を当たり前にみんなが使うようになってから
ある一定の文章を書く系の人たちの中で、自己肯定感という単語を使う人ダルいみたいな文脈が共有してあったように思う
こういった流れはいつも何かしらの単語が流行ると見られる、何者か とかね
今まで当確単語がなかった感情にわかりやすい単語が出てきたら使うのは普通だと思う
けど自己肯定感を気にする輩にニオう人が比較的多かったせいで、自己肯定感という単語のブランドがかなり下がった気がする
けど自分にとってと自分満足度って結構大切な話題だし、別に良い気がするんだけどなーって
自己肯定感を高く留めるために努力を怠らない人、私めっちゃ好きだよ


朝からずっとなぜか心拍数が高く、落ち着かない
聴きたい感じのマインドにビタっとハマる曲が永遠に見つからない
私のバッテリーが消耗し切ったiPodが40%になったくらいでやっと見つけたハードテクノのコンピがその中では一番しっくりきた


自分の膀胱が小さすぎてもはや笑える
私は飲み物を飲むのが好きなので、基本ずっとグビグビ水やら茶やらコーヒーを飲んでいる
8時間のバイト中に500mlのタンブラーで3回はオカワリする
のに、膀胱も小さいので 結果的に45分に一回くらいのペースでトイレに行くことになる
飲酒中はそれが本当に顕著で、話が盛り上がり前のめりになってるのを中断して何度もトイレに行く
その度に恥ずかしくて申し訳なくて泣きそうになる
私の人生、半分はおしっこ行きてーって考えてる気がする
外付けの膀胱、ほちーよー
もしかしてこりゎ、ビジネスチャンス?
こういうことを夕方のニュースで自信満々に語ってるSFCの学生絶対いるだろ、知らんけど

 

日記の2000字あっという間なのに課題の2000字は体感5000字なのマジでなんで?


あとふぃじ見てたら連絡ください、全然アカウント見つからない

リハビリ日記

毎年、冬が来ると去年より、自分の生活に対しての敏感さが増したように感じる
寒さをなんとなく感じるだけだったのが、気温を調べるようになったことにより、温度変化を敏感に感じるようになったり
バイトをするようになって自分にとっての1000円の価値と社会との距離感がわかるようになったり
このような自分と社会や生活の解像度が歳を追うごとに高くなっているような感じがする
昔五千円でしょうもない(とも言える)雑貨を買った自分の異常さを感じたり、家で使っているシャンプーの値段にびっくりしたり
生活に敏感になってから一番感じるは母親のすごさだ
シンプルに学費や生活費、当たり前に思ってた少し良い調味料や買ってきてくれるデザートの値段にもいちいち驚くし
一日仕事で疲れて帰ってきた後に他人のために家事をできるヤバさ
家族とはいえ他人で、距離が近すぎたせいもあって昔の自分は母親のことをものすごく憎んでいた時もあるが
今はもう適切な距離を取れるくらいには成長したし、ある程度社会に出て生活し始めて、母親の存在のバカデカさを日々感じている
こういうのはあるあるだと思うけど、自分で実際感じると感謝の感情が止まらなくなる
ちゃんと親に感謝できるようになれてよかった


勉強って良いもんだなあと、久しぶりにみっちり机に向き合い感じた
普段スマホ片手に生活していると、無意識に流されたまま楽な方へ楽な方へと生活も思考も怠惰になってしまう
そんな日々を送っていると自分の考えにきちんと向き合わないせいで、他責的な思考ばかりが頭に浮かび、どんどん傲慢になり、そんな自分が嫌でスカスカする
勉強したり、圧倒的なコンテンツに向き合うには自分の思考をブン回さなければいけない
理解するためにたくさん考えるし、そのインプットされた情報により自分の固定観念がどんどん壊れていく
社会学でも音楽でもSFでも、自分が無意識で構築していた全く意味のない様々な理論が壊される瞬間は本当に気持ちが良い
変だけど、自分がちっぽけだと感じている時の方が、知れた喜びや解像度が上がったことにより鮮やかに世界が見れることによる喜びなどが大きく、充実感がある
根拠ない自信は自分を空虚にさせる
それ以外にも、勉強すると思考を回す癖がつくことにより、普段の生活も意識的に送れるようになる気がする
そうするといろんなことに対して自分なりの意味づけを行いながら行動することができ、日々も楽しくなる
遊び続けている時よりも、勉強と遊びを両立させている時の方が断然楽しいのはそういうことだと思う
日々意識的に生きている時に出る言葉の方が中身も詰まっていて、シンプルに友人との会話も弾む
無意識で怠惰な状態を風車が回っていない状態に例えると、勉強で一度風車を大きく回せば生活をしている中でも風車は周り続け、いろんなことを考え内省したり発見したりして、より鮮やかに過ごせる
多分私以外のほとんどの人はもう気づいていることに今更気づいてしまった
正確には何度も気づいていたが、今日また再確認した
ダラダラした生活も新鮮みがなければつまらない、怠惰は土日だけだから気持ちが良い
自分が好きなものや大切なものをちゃんと好きでいたり、友人を大切にするためには、自分の無意識に意識的でなければいけない
それができれば自分の感情に責任を持つことができる
インプットはそんな状態で居続けるために本当に大事
前まではこんなこと当たり前に実践できていたのに、気付いたら怠惰に飲み込まれてしまっていた
こんなの言うまでもないけど充実した日々って本当に最高だし、ちょっとずつ取り戻していきたい
文章を書くのも日記をサボってる間にかなり下手になったと思う
ぶん回しライフを取り戻し、ベースにするためにも簡単なところから頑張るぞい
今年の目標はコレかな、風車ぶん回しビッチで!

追記:そう思うと毎日4000字とか日記書いてた3年前本当すごい

ゴチャゴチャ考えまくって苦しむ自分がなんだかんだ好きなんかな〜あせ

夏休みはあんまし良い精神状況ではなかったが結構回復してきた
大学が再開されてから二日で即元気になるのはちょっと面白い
昨日とかは久しぶりに6時に起き朝から夜まで勉強し、帰宅後疲労で化粧も落とさずに寝るドカ疲労気絶部をかまし
やっぱりある程度忙しくないと意味のないことをシコシコ考えたり心に負荷がかかっていなさすぎて自らストレスを生成してしまうようだ
夏休みは主に惨めさについてずと考えていた
いやなんだそりゃ!!!ドッヒャーーッッッッ
ダラダラすることは好きなのに、体はダラダラを拒否している悲しい現実
夏休み中もそこそこ忙しくはしていたが半分以上は自ら臨んだイベントだったし、全てを自分のペースでこなすことができる環境だった
自分が意外にも忙しいのが性に合うタイプだったようで、嬉しいような恥ずかしいような
自分をだらしのない人間だと卑下しすぎていたようにも感じる
しかも大学の授業はほとんど自分の興味あることしかしていないし、まあそりぁ元気になるか、といった感じでもある
うぉーし、取り戻したぞ自分 離さないぞ自分


やっぱり勉強は楽しい、なんでなのか
携帯触ったり映画見たり本読んだり、あとはまぁzine作ったりたまにDJして、漢字とか英語の勉強したり、いろいろしているつもりだったけど
自分が知らないことに対して最初から体系的に何か学ぼうとするときに生まれる自分の無の感覚がかなり好きなのかも知れないと思った
圧倒的に構築された議論や知らない世界のことを学ぶ時、自分の持つ一切の知識は無力で意味がない
そんな謙虚にならざるを得ない状況で少しずつ知識をつけていくことほど、ワクワクすることはない気がする
この興奮はある程度勉強が進んだ後にも、自分の世界に対する理解の解像度が高まるという形で継続される
自分の中で自分が尊大な状態にいる時ほど気持ち悪い状態はない
かといって内省的すぎる時ではなく、自分にみなぎる自信がどれだけ地道なものか実感している時が一番良い状態な気がする
人間にとってより良い状態で居続けるためには変化をし続けなければいけない、環境や自分は目まぐるしく変わり続ける中で停滞が最適解な訳がない
そういった意味でも自分が今現在進歩できているという実感が私にとって一番強く感じられるのは勉強している時なんだと思う
自分を壊せた時ほど嬉しいことはない
人に対しても、やはり私は自信がありながらも常に自分に懐疑的で自分を壊し続けられる人に魅力を感じる
自分に自信があることと内省的でいないことはイコール関係ではない
まあ別に、勉強の分野に限った話じゃないと思うけど
何か自分にそういった内省的な視点と、それを打破するための能動性があると人って結構いいカンジ、ってのはスポーツでも音楽でも
一緒なのでは?
まあなんか勉強頑張ってます!って言うと結構馬鹿にされるけど、ヮラ


人によって定義が違くて、違くて良い概念ランキング
1、青春
2、頭が良い
何かとみんなこの話題について話したがるし、特に2位の頭が良い悪いの定義について結構人は自分の中での定義に自信満々で
当たり前に自分のその概念の前提を話さずにあいつは頭が良い、悪いなどといってのける
その度に私は心の中で、良いご身分ですね〜とベロベロバァファックをお見舞いしている
たまたま、夏に2度ほど友人が「自分は頭が悪いから〜・・・」といってくる場面に出食わし
二回とも、いかにあなたが馬鹿ではないのか熱弁する、などをした
ので最近私にとって”頭が良い”ってなんなんだろうな、と整理をしてみた
その結果私にとって頭が良い悪いの定義とは”自分が今どう思っているのかを的確に理解し、自分が必要としていることをどれだけ早く行動に移せるか”だと結論づけた
昨日の”不一致ゲーム”の話にもつながるところがある
人間は自分が直視したくない感情を考えないようにしたり、他の感情とすり替えて解釈したり結構しがちで
頭の良い人はそれをあまりしない、生産性がないし結構惨めなことだから(だと思う)
そして自分が本当に求めていること、それは寝るなどといった短絡的な欲望ではなく、結果的に結びつく遠回りの願望のためにも粘り強く努力ができる
その両者の出来が頭の良い悪いに直結するのではないか、と言うのが私の結論だ
ここで言っておきたいのは私にとっての良し悪しは社会にとっての善悪でないので、別にここの定義の中で頭が悪いに当てはまるからといって見下すに値するとかしょうもない人間だと思っているわけではない
ただそっちの方が私は素敵だと感じるだけの個人的な好みの話である
学歴や経験が頭の良い悪いに直結するはけはまずないが、自分の感情を直視できその上での進歩を能動的にできる人はどこに行っても上手くいくし
会話していても地の言葉を発せるので、楽しい印象を与えやすい
そうした性格はその人に有逸無二の感覚を与えるだろうし、そうしたエネルギーを持った人に人間は惹かれる
うんうん、言ってても結構妥当な定義のように思える
人はエネルギーを持った人間に魅力を感じるし、そうしたエネルギー溢れる人間は自分の構築した考えをなんらかの形で世に出すことが多い、
そんなパワフルな人間に触れた時に人は理由の分からない相手のタフさを頭が良いと形容するのだと思う
別に人間の魅力は複合的なもので、今話したポイントだけで素敵な人だとは限らないが
大きな鍵ではあるように感じるし、自分もそうした人間になりたいと言う気持ちが結構強くある
最近、エネルギーがある人に対しての嗅覚が効くようになってきて
またなんかそんなことを考えていた
いやそりゃこんなキッショいことずっと考えて、内省!とか言いながら遊んでたらそりゃ病みますわな ガハハ

脳みそがずっと混沌としていて疲れちゃったヨ⭐︎

9月終わるの早すぎて笑った
20日ってなんだよ20日って!
ふざけるのも大概にしてほしい
8日くらいが妥当だろ
まあ多分なんだか一日中寝て過ごしてしまったな、みたいな日の積み重ねがこういう破壊的な時間のビックリ爆速経過を生むんだろうな
なんだい、自業自得かい
せめてごめんね時間よ
1ヶ月40日あっても同じこと言ってんだろうな


一昨日、友人と“不一致”を探すゲームをした
どんな不一致かというと、深層心理の気持ちと自分の解釈している考えの不一致だ
分かりやすいのが嫉妬
大体の場合、相手が醜いから・劣っているからなどの理由で人を嫌っている体を保っているが
実際はコンプレックスが元になっいることが多い
そのような不一致を明け方2時間ぐらい探していた
元々私がこのような脳と考えの不一致を一番持ちたくないものだということを友人との会話で気づいたことがこのような遊びをする流れになった
人間誰しもこのような不一致はあって然るべき自然なことだとは思うが
自覚しないで居続けることを正当化したり、気づかないふりをし続ける自分や他人に何か醜さを感じる
このゲームをしているところを見ていた友人には性格が悪いと言われたが
見下し自分を正当化するために行なっているわけではないので、そうでもないんだよなあと、言われた時には感じた
自分にとってこうした不一致が不快なものだとしても、それをしているか否かは良し悪しではなく単なる自分の価値観であることに自覚があるからかもしれない
まあなんというか、側から見たら性格が悪いことは後から納得した


自分の思考や友人との会話で脳内が整理されると全て文字として書き起こしたくなるような強迫観念に見舞われる
最近友人と5時間ほどぶっ通しで会話をし、ずっと混沌としていた脳内が綺麗にスッキリ整理される経験をした
この経験は2度味わえるものでも再現可能なものでないことは分かっていながらも、その記録をしなければと言う気持ちが湧き上がり今日戦っていた
素敵な余韻は無理な言語化によって破壊されてしまうような気もしたし、数行至った結論を書くにとどめた
自分のこうした強迫観念はせっかく行き着いた素敵な考えを忘れたくないといった類のものだと自分では思う
ふとするとその時のことを書きそうになる自分と戦っていたらこのことを書きたくなった、けど

書いても書いても脳みそが思考をし続けてしまいずっとスッキリしない、ずっと心臓がバクバクしている不快感がある、ここ数日は人といる時以外何だかずっとそんな感じ