ゴーゴー!音々の精進日記!

とりま走ってる人生をイケてるランニング人生にしていきたいのサ❗️

友達とか親とか、近い人について

先日松下が私の実家に夕食を食べにきた
突然のことだったし、2時間ほどの短い時間だったが
母が名前を覚えていて、エピソードトークの時に名前を出せる数少ない友達のうちの1人だからこそ
二人を会わせられることがすごく嬉しかった、なんとなく
松下に言われて気づいたことが一つある
これは同性親子、特に女同士の場合そこまで珍しい話ではないのかもしれないが
私と母親の会話が健全でスゲかったらしい
朝支度をしながら思ったが、お互い家にいる間は基本的にずっと話しているし、それが普通に楽しい
数年前までは半年くらい口を聞かないのが普通だったので、確かに今の状況はかなり良いものな気がする
人といる時、なぜか母親に強く出てしまう自分がいるな、と反省しつつも
自分にとって母親と話している時間は大切なんだといことを確認できた良い夜だった


友達に一人、長く付き合っている友人のフォローを躊躇なく外せる奴がいる
仲良さそうにしていた交際相手を突然振ったり、話を聞く限り長く親密なのであろう友人のことを冷たい言葉で切り捨てたりということが当たり前にできる人だ
その人とは2回ほどしか遊びに行ったことはなかったが、バイト先を紹介してくれて一緒に働いていたので
多分向こうはもう友達とは認定してないだろうなという感じをヒシヒシと感じながらも週何回か会う、変な形の友達だった
簡単に人を切り捨てる分、逆に興味を持った場合も行動が早く、彼女とはTwitterで知り合ったのだが
彼女からの誘いで急に散歩に行くことになった、記憶が正しければ
そして次飲みに行った時にはもうアルバイトに誘われた
彼女が私のことを明らかに飽き始めてからも、私はなんだかずっと彼女のことが好きだった
前例を見たことがないレベルのドライさを持ち、自分の好む感覚を追い求め、不快さを徹底的に排除するために他人と全く協調しない所は
全く真似できないことが分かりながらも、私がずっと欲しいと思い続けているものだ
彼女とは2年ほど一緒にバイトをしていたが、最後の方になると他人と協調はしないものの人に不快な思いをさせないというスキルも獲得し
彼女はもはや完璧、完全体になっている感じがした
言葉を選ばずにいうと、他人すら自分の人生の娯楽の一部でしかないというような彼女の感覚は
人との関係を気にしすぎて、LINEの一つでさえウニョリウニョリと考える自分にとってエッセンスとして必要な要素だ
そういう意味では彼女と出会い、会っていた日々は、私にとってお守りに近い
他人を慮りすぎて息苦しくなる度に、私は彼女のことを思い出して
まーいっかと無視をする勇気をもらっている
また数年後、彼女の興味が回ってきた時に一緒に飲みにでも行けたら良いなと思う
私は待ってるよ!ぺしちゃん!!


会いたいと思う友人全員と会いたいのに、なかなかそれが実現できないことであるということを最近ひしひしと感じる
スケジュール 関係性 金銭、様々な要因があるが
こっちが本気で会いたいと言ってるのに社交辞令と取られる場合や、友達の友達だから会いたくても友達も挟まなきゃいけない場合、シンプルにえ、私再来月まで土日空いてないんだが?!みたいな場合もある
そう考えると今会いたい友達をリスト化して上からチェックを入れていきたい気持ち駆られる
最近誘う気軽さや確実にめちゃくちゃ楽しくなるという確信の強さ、毎回だいたい来てくれる点から、気づくと全部に松下を誘ってしまう
Twitterで絶対気合うし仲良くなるだろうな・・・みたいな女の子を、昔だったからなんだかんだご飯に誘えてた気がするが
今はなんかできない
賭け行動にどんどん出れなくなってきている
クラブから足が遠のいているのも、同じ要因な気がする
次の日寝ないで大学行っても、まあどうにかなるだろ!とか 知らん人ばっかだけどどうせ踊れるだろ!みたいな賭けに出ることが今はほぼもうない
思うと一昨年までくらいはほぼ全ての行動が賭けみたいなもんだった気がする
どっちの方が良いのかはわからないが、賭けの日々が少し恋しくもある
失礼なのも承知で会いたい人リストを作り、片っ端から連絡を入れてみるのもアリな気がしてきた
会いたい人すらがいなくなる時が、再来年にはきているかもしれない