ゴーゴー!音々の精進日記!

とりま走ってるって感じの人生をイケてるランニング人生にしていきたいのである

リハビリ日記

毎年、冬が来ると去年より、自分の生活に対しての敏感さが増したように感じる
寒さをなんとなく感じるだけだったのが、気温を調べるようになったことにより、温度変化を敏感に感じるようになったり
バイトをするようになって自分にとっての1000円の価値と社会との距離感がわかるようになったり
このような自分と社会や生活の解像度が歳を追うごとに高くなっているような感じがする
昔五千円でしょうもない(とも言える)雑貨を買った自分の異常さを感じたり、家で使っているシャンプーの値段にびっくりしたり
生活に敏感になってから一番感じるは母親のすごさだ
シンプルに学費や生活費、当たり前に思ってた少し良い調味料や買ってきてくれるデザートの値段にもいちいち驚くし
一日仕事で疲れて帰ってきた後に他人のために家事をできるヤバさ
家族とはいえ他人で、距離が近すぎたせいもあって昔の自分は母親のことをものすごく憎んでいた時もあるが
今はもう適切な距離を取れるくらいには成長したし、ある程度社会に出て生活し始めて、母親の存在のバカデカさを日々感じている
こういうのはあるあるだと思うけど、自分で実際感じると感謝の感情が止まらなくなる
ちゃんと親に感謝できるようになれてよかった


勉強って良いもんだなあと、久しぶりにみっちり机に向き合い感じた
普段スマホ片手に生活していると、無意識に流されたまま楽な方へ楽な方へと生活も思考も怠惰になってしまう
そんな日々を送っていると自分の考えにきちんと向き合わないせいで、他責的な思考ばかりが頭に浮かび、どんどん傲慢になり、そんな自分が嫌でスカスカする
勉強したり、圧倒的なコンテンツに向き合うには自分の思考をブン回さなければいけない
理解するためにたくさん考えるし、そのインプットされた情報により自分の固定観念がどんどん壊れていく
社会学でも音楽でもSFでも、自分が無意識で構築していた全く意味のない様々な理論が壊される瞬間は本当に気持ちが良い
変だけど、自分がちっぽけだと感じている時の方が、知れた喜びや解像度が上がったことにより鮮やかに世界が見れることによる喜びなどが大きく、充実感がある
根拠ない自信は自分を空虚にさせる
それ以外にも、勉強すると思考を回す癖がつくことにより、普段の生活も意識的に送れるようになる気がする
そうするといろんなことに対して自分なりの意味づけを行いながら行動することができ、日々も楽しくなる
遊び続けている時よりも、勉強と遊びを両立させている時の方が断然楽しいのはそういうことだと思う
日々意識的に生きている時に出る言葉の方が中身も詰まっていて、シンプルに友人との会話も弾む
無意識で怠惰な状態を風車が回っていない状態に例えると、勉強で一度風車を大きく回せば生活をしている中でも風車は周り続け、いろんなことを考え内省したり発見したりして、より鮮やかに過ごせる
多分私以外のほとんどの人はもう気づいていることに今更気づいてしまった
正確には何度も気づいていたが、今日また再確認した
ダラダラした生活も新鮮みがなければつまらない、怠惰は土日だけだから気持ちが良い
自分が好きなものや大切なものをちゃんと好きでいたり、友人を大切にするためには、自分の無意識に意識的でなければいけない
それができれば自分の感情に責任を持つことができる
インプットはそんな状態で居続けるために本当に大事
前まではこんなこと当たり前に実践できていたのに、気付いたら怠惰に飲み込まれてしまっていた
こんなの言うまでもないけど充実した日々って本当に最高だし、ちょっとずつ取り戻していきたい
文章を書くのも日記をサボってる間にかなり下手になったと思う
ぶん回しライフを取り戻し、ベースにするためにも簡単なところから頑張るぞい
今年の目標はコレかな、風車ぶん回しビッチで!

追記:そう思うと毎日4000字とか日記書いてた3年前本当すごい

ゴチャゴチャ考えまくって苦しむ自分がなんだかんだ好きなんかな〜あせ

夏休みはあんまし良い精神状況ではなかったが結構回復してきた
大学が再開されてから二日で即元気になるのはちょっと面白い
昨日とかは久しぶりに6時に起き朝から夜まで勉強し、帰宅後疲労で化粧も落とさずに寝るドカ疲労気絶部をかまし
やっぱりある程度忙しくないと意味のないことをシコシコ考えたり心に負荷がかかっていなさすぎて自らストレスを生成してしまうようだ
夏休みは主に惨めさについてずと考えていた
いやなんだそりゃ!!!ドッヒャーーッッッッ
ダラダラすることは好きなのに、体はダラダラを拒否している悲しい現実
夏休み中もそこそこ忙しくはしていたが半分以上は自ら臨んだイベントだったし、全てを自分のペースでこなすことができる環境だった
自分が意外にも忙しいのが性に合うタイプだったようで、嬉しいような恥ずかしいような
自分をだらしのない人間だと卑下しすぎていたようにも感じる
しかも大学の授業はほとんど自分の興味あることしかしていないし、まあそりぁ元気になるか、といった感じでもある
うぉーし、取り戻したぞ自分 離さないぞ自分


やっぱり勉強は楽しい、なんでなのか
携帯触ったり映画見たり本読んだり、あとはまぁzine作ったりたまにDJして、漢字とか英語の勉強したり、いろいろしているつもりだったけど
自分が知らないことに対して最初から体系的に何か学ぼうとするときに生まれる自分の無の感覚がかなり好きなのかも知れないと思った
圧倒的に構築された議論や知らない世界のことを学ぶ時、自分の持つ一切の知識は無力で意味がない
そんな謙虚にならざるを得ない状況で少しずつ知識をつけていくことほど、ワクワクすることはない気がする
この興奮はある程度勉強が進んだ後にも、自分の世界に対する理解の解像度が高まるという形で継続される
自分の中で自分が尊大な状態にいる時ほど気持ち悪い状態はない
かといって内省的すぎる時ではなく、自分にみなぎる自信がどれだけ地道なものか実感している時が一番良い状態な気がする
人間にとってより良い状態で居続けるためには変化をし続けなければいけない、環境や自分は目まぐるしく変わり続ける中で停滞が最適解な訳がない
そういった意味でも自分が今現在進歩できているという実感が私にとって一番強く感じられるのは勉強している時なんだと思う
自分を壊せた時ほど嬉しいことはない
人に対しても、やはり私は自信がありながらも常に自分に懐疑的で自分を壊し続けられる人に魅力を感じる
自分に自信があることと内省的でいないことはイコール関係ではない
まあ別に、勉強の分野に限った話じゃないと思うけど
何か自分にそういった内省的な視点と、それを打破するための能動性があると人って結構いいカンジ、ってのはスポーツでも音楽でも
一緒なのでは?
まあなんか勉強頑張ってます!って言うと結構馬鹿にされるけど、ヮラ


人によって定義が違くて、違くて良い概念ランキング
1、青春
2、頭が良い
何かとみんなこの話題について話したがるし、特に2位の頭が良い悪いの定義について結構人は自分の中での定義に自信満々で
当たり前に自分のその概念の前提を話さずにあいつは頭が良い、悪いなどといってのける
その度に私は心の中で、良いご身分ですね〜とベロベロバァファックをお見舞いしている
たまたま、夏に2度ほど友人が「自分は頭が悪いから〜・・・」といってくる場面に出食わし
二回とも、いかにあなたが馬鹿ではないのか熱弁する、などをした
ので最近私にとって”頭が良い”ってなんなんだろうな、と整理をしてみた
その結果私にとって頭が良い悪いの定義とは”自分が今どう思っているのかを的確に理解し、自分が必要としていることをどれだけ早く行動に移せるか”だと結論づけた
昨日の”不一致ゲーム”の話にもつながるところがある
人間は自分が直視したくない感情を考えないようにしたり、他の感情とすり替えて解釈したり結構しがちな人間で
頭の良い人はそれをあまりしない、生産性がないし結構惨めなことだから(だと思う)
そして自分が本当に求めていること、それは寝るなどといった短絡的な欲望ではなく、結果的に結びつく遠回りの願望のためにも粘り強く努力ができる
その両者の出来が頭の良い悪いに直結するのではないか、と言うのが私の結論だ
ここで言っておきたいのは私にとっての良し悪しは社会にとっての善悪でないので、別にここの定義の中で頭が悪いに当てはまるからといって見下すに値するとかしょうもない人間だと思っているわけではない
ただそっちの方が私は素敵だと感じるだけの個人的な好みの話である
学歴や経験が頭の良い悪いに直結するはけはまずないが、自分の感情を直視できその上での進歩を能動的にできる人はどこに行っても上手くいくし
会話していても地の言葉を発せるので、楽しい印象を与えやすい
そうした性格はその人に有逸無二の感覚を与えるだろうし、そうしたエネルギーを持った人に人間は惹かれる
うんうん、言ってても結構妥当な定義のように思える
人はエネルギーを持った人間に魅力を感じるし、そうしたエネルギー溢れる人間は自分の構築した考えをなんらかの形で世に出すことが多い、
そんなパワフルな人間に触れた時に人は理由の分からない相手のタフさを頭が良いと形容するのだと思う
別に人間の魅力は複合的なもので、今話したポイントだけで素敵な人だとは限らないが
大きな鍵ではあるように感じるし、自分もそうした人間になりたいと言う気持ちが結構強くある
最近、エネルギーがある人に対しての嗅覚が効くようになってきて
またなんかそんなことを考えていた
いやそりゃこんなキッショいことずっと考えて、内省!とか言いながら遊んでたらそりゃ病みますわな ガハハ

脳みそがずっと混沌としていて疲れちゃったヨ⭐︎

9月終わるの早すぎて笑った
20日ってなんだよ20日って!
ふざけるのも大概にしてほしい
8日くらいが妥当だろ
まあ多分なんだか一日中寝て過ごしてしまったな、みたいな日の積み重ねがこういう破壊的な時間のビックリ爆速経過を生むんだろうな
なんだい、自業自得かい
せめてごめんね時間よ
1ヶ月40日あっても同じこと言ってんだろうな


一昨日、友人と“不一致”を探すゲームをした
どんな不一致かというと、深層心理の気持ちと自分の解釈している考えの不一致だ
分かりやすいのが嫉妬
大体の場合、相手が醜いから・劣っているからなどの理由で人を嫌っている体を保っているが
実際はコンプレックスが元になっいることが多い
そのような不一致を明け方2時間ぐらい探していた
元々私がこのような脳と考えの不一致を一番持ちたくないものだということを友人との会話で気づいたことがこのような遊びをする流れになった
人間誰しもこのような不一致はあって然るべき自然なことだとは思うが
自覚しないで居続けることを正当化したり、気づかないふりをし続ける自分や他人に何か醜さを感じる
このゲームをしているところを見ていた友人には性格が悪いと言われたが
見下し自分を正当化するために行なっているわけではないので、そうでもないんだよなあと、言われた時には感じた
自分にとってこうした不一致が不快なものだとしても、それをしているか否かは良し悪しではなく単なる自分の価値観であることに自覚があるからかもしれない
まあなんというか、側から見たら性格が悪いことは後から納得した


自分の思考や友人との会話で脳内が整理されると全て文字として書き起こしたくなるような強迫観念に見舞われる
最近友人と5時間ほどぶっ通しで会話をし、ずっと混沌としていた脳内が綺麗にスッキリ整理される経験をした
この経験は2度味わえるものでも再現可能なものでないことは分かっていながらも、その記録をしなければと言う気持ちが湧き上がり今日戦っていた
素敵な余韻は無理な言語化によって破壊されてしまうような気もしたし、数行至った結論を書くにとどめた
自分のこうした強迫観念はせっかく行き着いた素敵な考えを忘れたくないといった類のものだと自分では思う
ふとするとその時のことを書きそうになる自分と戦っていたらこのことを書きたくなった、けど

書いても書いても脳みそが思考をし続けてしまいずっとスッキリしない、ずっと心臓がバクバクしている不快感がある、ここ数日は人といる時以外何だかずっとそんな感じ

金欠は心をカサカサにする

ここ二日間ずっととあるブランドの撮影にモデルとして参加していた(笑うな!)
会話がずっと英語だったので頭の変な部分がこった
炎天下の元で歩き回り、ポージングしまくりだったので本当ありえないくらい疲れた
初日は12:00~22:30、二日目は14:30~23:00、いや長すぎだろ
緊張や慣れなさもあって、最後の方はもうマジで何も感じないくらい疲れたが、二日目や慣れもあり心地よい疲労感で終えた
普通に撮影がずっと楽しかったのもデカいが、思ったよりも自分の体力があることが嬉しかった
というのも、一日中動くと疲れすぎるし、休憩を多くとるか、極論避けた方が良いとまで思っていた
そこまで疲れてない日でも、これ以上動いたらしんどいかなと早めに家に帰ったりすることも多くあった
しかし実際のところ今日休憩時間30分でも楽しく終えられた
確かに思い出してみればレイヴなどでも結構ずっと動けるタイプではあった
普段あまりない、身体的疲労で爆速に入眠も気持ちが良い
多分20代までしか爆動きできないだろうし、今のうちにタフに動き回ろーと決意した


最近教習所や勉学のタスクや旅行が多すぎて本当にずっと金欠の日々を過ごしている
大学一年の時よりは確実に金がない
病院や教材、ゼミ旅行の旅費など自分が本当に求めているわけではない出費があまりにも多すぎて、自分の豊かさへの投資がここ数ヶ月できないでいる
結構辛い
お金の無さで人からの誘いを断る時が一番辛いし、欲しいものがあってもお金の計算をするまでもなく買えないのは心にくる
学校が遠方にあるため平日全くアルバイトできないのがかなり財布に響いている
金銭源が謎の人たちが心底羨ましい
それでも最近はたくさんの節約術を実行しているため、資金潤沢人間を装うことに成功している
・ネイルは長さ出しから全て自分でやる
・髪の毛は友人の美容師に頼む
・実家でなるだけご飯を食べる
・大学にはおにぎりを作っていく
・おやつを持ち歩きコンビニを回避する
・飲み物は箱買い
・ヤコバ命
ざっとこんな感じである
雑費を極限まで減らして全てを有効に活用できれば月8万円生活も辛くない(辛い)
しかも最近大好きなバイト先のママさんにお金がなくて大変なのは今だけなんだから学生の金欠も楽しみなさい、と金言をもらい結構タイトな生活が苦ではなくなってきた
確かに無駄を省くことで本質的な自分の欲望と向き合いランキングをつける必要があり、そのことは結構意義があるようにも思える
ある程度お金が入るようになっても持っていたい癖を今のうちに訓練して身につけられたら万々歳かなー
と、自分に言い聞かせながら金欠をやり過ごしています、金欠のしんどさは結構心理的不調を生むので辛くないふりをする必要があるのだ
あーー〜ーーーあと月に5万円ほしーーーーーーーー

半年間の悩みがふたつ解消されたサイコーな日

Twitterの昔使っていたアカウントになんとになんとなくログインしてみた
高校卒業した後の浪人期間に本垢をログアウトして使っていた裏垢だった
ちょっと可哀想なぐらいずっと病んでいたのだが、病んでいる人とは思えないくらい自分のしんどい心境を具体的に言語化し分析していてちょっと面白かった
何も考えずにアカウントを削除してしまったことを後になって少し後悔するくらいには赤裸々に真面目に一生懸命自分の負の感情と向き合っており、昔を少し可愛いなとも思った
今も結構頻繁に精神状態は荒れるので、そこまで昔からそういった面では変わっていないのかな、と思っていたが
意外と当時の裏垢を見てみると昔の私には負の感情に浸りに行っている部分があり、どうにかこうにか毎回改善を試みて奮闘している今を成長してるのかもと感じた


健康に気を遣おうという気になってきた
というのも毎回のPMSがあまりにもバイオレンスすぎるからだ
何人かの友人に話を聞いた際に、食生活を改善したら圧倒的に良くなったという意見を多数聞いたのがきっかけだった
最近になりやっと自分の頭痛や眠気、イラつきなどの心身の不調に外的要因が大きく絡んでいることを理解するようになった
前に日記でもよく書いていたが、原因やその影響も分かりやすい切り傷やあざとは違い
特に外的要因のある心理的不調は常に自分の脳みそであることは変わりないために、その原因を外部と結びつけることが難しい
しかし最近毎回不調のあるたびに何か考えられる原因はないか考えるようにしたら、結構分かるようになって来たのだ
ということで第二段階、次はそれの改善を図りたいと思う
ということでまずは、と近所の図書館で女性の体について分かりやすく書いてある本を読みに行ってきた
普段週刊誌のアルバイトで健康記事の文字起こしを担当する時は微塵も興味を持っていなかったが、前のめりになって読んでみると案外面白い
そこには様々ビッくらポンなことが書いてあったが一番驚いたのは、鉄分不足な人は心理的に不安定な傾向にあるということ
私は小学生の頃から万年貧血だったので、そうだったのかと膝を百回ほど打った
自分ではもうどうしょうもないと思っていた懸念点が何か改善できるとわかった時ほど気持ちが軽くなる瞬間はない
猛烈に食生活に気を使いたくなってきた
どうせ生きるなら快適に楽しく生きたい、無駄な苦労なんてしたくない
当たり前だ
今までは生理のある体そのものを死ぬほど恨んでいたが、こっちだって恨みたくて恨んでるわけじゃない
ちょっと意識的に食事をとるだけで好調ハッピーになれるなら、やってやろうじゃないの!!健康な食事!!!!


最近お笑い芸人のライブ配信を見るようになった
寄席やライブは金銭的にもスケジュール的にも気になるもの全て行けるわけではない
しかし配信にお金をかけるのもなあと嫌厭していたが、こりゃなかなか良い
友人の行為で見させてもらっていて、自費でないのだが
全然臨場感あるしこっちのタイミングで見れるのでかなり最高だ
もちろん生で見に行くことに勝ることはないが、そこまではできないけど気になるライブも手を出せる点においてはサイコーだと思う
先方にもお金が入るしこっちは楽しいしで二重丸
コロナの遺した偉大な功績、リモートワークに続くGOOD気づきだと思います

早起きではなく、とんでもない夜更かしで過ごす午前6時

日記を書くことがすっかり日常の一部ではなくなってしまった
前回書いたのが7/15だから、ほぼまるまる1ヶ月
先月末はテストで本当にそれどころじゃなかったし、8月も旅行だなんだと慌ただしく時が過ぎ、地に足ついた生活をできていなかった気がする
ここ最近は忙しさで全く現実感のない生活をしていた
睡眠時間ない状態で旅行したり、バイト先の飲み会の後にクラブへ行ったり、丸一日寝て潰したり、風邪引いたり
そのせいなのか自分の感情が自分のものではないような、自分の主導権が自分にない日々が続いていたように思う
ここ数日でやっと自分をコントロールする感覚が戻ってきた
自分の部屋で朝起きて化粧などのルーティーンをこなし、今日の自分の状態を把握し出かけ、帰ってきてその1日の感情を日記にまとめて、大好きな部屋で1日色々あった感情を好きなコンテンツで機嫌をとる
やっぱりこういったベースの自分の生活の上にいないと、自分の環境や状態の把握、そのコントロールとしての自分の好きな作品に触れる時間が減って、どんどん自分が暴れ馬のように手のつけられない存在になっていってしまう
7月後半のテスト期間から今日までの暴走遊び夏休みに疲弊し、今日一日放置してしまった自分の部屋の整理に費やした
ら、結構わかりやすく精神が整った
荒波のように嫌なことばっかり考えていた脳みそも自然と好きなものやことについてでいっぱいになった
非日常はたまにあるからスパイスになるけれど、やっぱりスパイスに異常摂取は自分のペースがちゃぶ台をひっくり返したみたいに狂わされる
特に最近は普段と違う環境で自分がどういう感情を持つのか、相対的に考えることにより自分を把握しようとする期間でもあったので余計にベースの感情が乱れ常に興奮状態になっていたかのように思う
自分の部屋で過ごす時間は自分が思っていたよりもずっと有意義で大切な時間だと気づけたことが嬉しい
明日から、溜まりに溜まったタスクを消費して
ドキドキ不安に苛まれてる脳みそちゃんを正常な忙しさとストレスで癒してあげようと思います
来週から毎週旅行がある異様な夏を乗りこなさなければいけないけれど、このことに早く気づけた私は英気吸い取られることなく討伐できそうです!オリャ!!!


なんて言ってるけれど
8月も、もう12日夏休みで行ったら前半戦終了ってカンジですか?
こんな時期まできていることがあまりにも怖い
早すぎる
体感だとまだ本当に7日くらいだし、正直何をしていたか記憶がない
意味のない悩みごとに頭を抱えながらソファーの上でウゴゴ・・とか言ってたくらいな気がするし実際多分そうだと思う
そして本当に毎回日記を書く度にもう何日!?!?という内容のことを書いてる気がする
こうやって人は気づいたら死んでいるんだろうな、いやガチで


夏って短い気がする
毎年11月くらいから冬は2月とか3月前半までキンッキンに寒くて
もううんざりだよ、、面白くないですよ、寒いの、という気持ちになる
冬服も全く心動かない、普通にいつだってタンクトップしか着たくない
暗いこと、寒いこと、乾燥してること、電車で汗かくこと、冬は全部が気に食わない
もちろん夏もだからといって百点満点なわけでは決してない
汗かくから化粧すぐ消えるし、髪の毛もグッシャグシャ、日傘がないと外を歩くことすら困難で、肌も焼けてシミができる
結構うざったい季節なはずなのにやっぱりどうしょうもなく夏が好きだなあとジリジリうるさいセミの音の中でボーッと考えたりした
でも、寒い期間に比べて暑い期間のほうが短い気がする
好きだから過ぎるのが早いだけかな、そんな単純なものだとも思えないけど
とにかく私はもう今から冬が来るのが本当に嫌だし、いつどんな時でも冬の存在を思い出すだけで泣きそうな気持ちになる(正月とクリスマス以外)
友達も、夏の方がみんな楽しそうだし笑顔な気がする
冬はイベントのなさにも、何もかもうんざり
あーーーー本当に、毎日夏至がいいよ、お願いですよホントに、、、

なんかアタイ、久しぶりに怒ってる というより凹んでる

やらなきゃいけないことがある時にだらだらしていると心が荒む
なんかちゃんと分かりやすく自分に対して凹む
このことを分かってるのに何故かそれでもだらだらしてしまう時がある
それは多分脳が刺激を求めて飢えている時で、案外元気な印だからタスクに無理やり戻るべきだと最近気づいた
それがむずいんだけど
普通に本当に疲れている時はだらだらしてると無限に楽しい
これ結構分かりやすい指標
タスクがある中だらだらしてしまう罪悪感なんて、罪悪感界の中の最弱
百害あって一利なし系のやつですからね


皆さんってドタキャン許せるタイプですか
私はですね、前は本当に本当に許せないタイプだったんですけど最近はまあウゼーな、くらいで収められるようになってきました
なんかいません?仲良いのに四回連続でドタキャンしてきてずっと連絡とってるのに一年顔見てないかもな、ってやつとか
ごめん遅くなる!って連絡来てから3時間音信不通になるやつ
あとはー、前日に明日どうする?って連絡入れたのに当日家出るくらいの時間にごめん!!ちょっと今仕事が!とかいう人
王道は今起きた!ですね
なんかビビってしまう
私は大体一カ月の初めに大まかな予定を立てて、そのスケジュールを目安に気持ちを整えたりタスクを消費したりお金を節約したりと進めている
まあ当日の夜決まったのみとかは別に上記のようなことがあってもいいんだけど(そういう場合はなかなか起こらない)
来月その日しかみんな合わないから飲み行こう!だとか、今度ずっと行きたかったあそこにおしゃれして行こう!とか
なんかそういう、わー楽しみだな あの日のために頑張るぞーという予定を無下に扱われると本当に凹んでしまうし相手は自分のことをその程度だと思っているのだなあ、と感じる
1度や2度だったらドタキャンだって寝ぶっちだって全然許す
でもそれがなん度も続いていくと自分が楽しい思い、楽な思いをするために人を駒のようにこの人は扱って良いと思ってるのだなあと思ってしまう
高校のコロナ禍の良かった友人は何故かめちゃくちゃドタキャンをするタイプで、自他の境界が曖昧だった私は合わないんですねサヨウナラをできずにずっとキャンキャン怒っていた
その友人は気分じゃなくなったのに遊んでも楽しいはずがない、自分はドタキャンされても自分の時間ができて嬉しいと言っており
まあみんなそんな感じなんだと思う
最近そういうことをされると本当に悲しくなるので、こっそりだがドタキャンを連発する人とは距離を置く生活をしている
そうするようになって数年だが本当に心地が良い
ああ今日この人来ないかもな、と思いなが自分は魅力がないんだなあと惨めに感じる時間がなくなったし
楽しみにしていた休日にぽっかり穴を開けられることも無くなった
はずだったが最近立て続けにそういったことがあり
なんだかまた久しぶりに打ちのめされてしまった
昔に比べて自他の境界はきちんと引くようになったので、そうされた日を別に楽しくやり過ごしたり
勝手に心で友人から外したりしてやり過ごすことができるようになっているが
それでも根本的にいわゆるドタキャンオッケー派の人たちとは全くレベルが違う
ベースは悲しいがずっとある
私は本当に大切な友人以外と遊ぶ約束をしないので、そう言った側面もあるのかもしれない
いわゆる”知り合い”にドタられても心は無傷だと思う
自分にとっては大切だと感じている友人に、雑に扱っても良いと思われたから悲しい、のかな
ドタられても平気だったり、友達がブロ回してきても余裕な感じの人ほど、なんかかっこいいとされてる(気がする)けど
私は全然強がれないし、自分の心が嫌だよーと叫ぶことをする人とはどんどん距離を置く
まあ確かに友人のことを思い過ぎて、そのせいで傷ついてるからダサいのかもしれないけれど私は友人たちを大切に思う気持ちを、雑に扱ってくるやつより大切にしたいので
これからもそうしていくと思う
なんか、嫌じゃんクールぶって嫌味言うの
私は全然悲しかったら悲しーーーーーってこれからも叫んでいきます、好きな友人たちに大好きーーーって言うみたいに