(日記ではない)誰かの地元としての京都
京都へ行ってきた
途中大阪にも行ったりして、たくさん飲んでいろんなものを見た
どこに行っても人はたくさんいたし整備された街並みはどこも綺麗だった
だが東京ではもはや感じることがなくなった、誰かの地元感がありありと存在し どこも暖かな空気が感じられた
東京の街はどこも本当に全て企業の手により開発され、今やどこへ行っても似たような店や建物が並び数年前の"かつて"でさえ感じられることはない
目まぐるしく変わる、ビカビカと光る広告がそこかしこにあるのもその理由かもしれない
そんな今もまたどこかが開発されている
それにより誰かの地元 のような生々しい街の息遣いや生活の匂いが全くしない都市が出来上がった
そんな東京はどこへ行っても便利で何もが異様にスムーズで数え切れないほどの人が音を立てずに生活している
ただ確実に存在する息苦しさは私たちを疲弊させる
住んでる町のはずなのに許されているホーム感がまるでせずふと最寄りの喫煙所で帰りたいな、などと思ったりする
どこへ行っても似たような人と町、私は何か悪い夢を見ているのか?と思ったり
その分京都は本当によかった
それぞれいる人々がしたいことをのびのびとしながらゆっくりと歩き話していた
一見すると同じような街にもその町ごとに違った息遣いが感じられた
どこへ行ってもコンクリートが追いかけてくる東京の硬く薄暗い渦が、京都にはなかった
バシバシと自分に集中し他を排除し自分を高めるには東京は良い街かもしれない、しかしいつかのんびりと生きてみようという気になった時、東京で生まれ育った私はもしかしたら手遅れなのかもしれない