ゴーゴー!音々の精進日記!

とりま走ってるって感じの人生をイケてるランニング人生にしていきたいのである

私にとってのZ世代 #とは

国内SNS特にインスタグラムにおいて#BLM#ウクライナ支に平和を のハッシュタグは盛り上がりを見せた。しかしウクライナで死者が増え続けマリウポリ市民に避難勧告が出された今そのようなハッシュタグを使っている人はもう見かけない。ロシアが侵攻し始めた際いち早くそうした声明を出していた人たちは今事も何もなかったかのように日常の風景をポストしている。彼らはその問題が"流行っている"時にのみ問題に付随したことをポストする。政治的、社会的ポジションを取るということがSNS上でのアクセサリーになってしまっているのではないか、と私は思う。BLMがアメリカで盛り上がりを見せた時とちょうど同時期にコロナを理由としたヘイトクライムが起こりジョージア州でアジア人女性が8人殺された。この件に関して地元警察は会見で「男にとってついていない日だった」と驚くべき発言をしている。しかしこの件に対して特にインスタグラムでは#BLMと同じようにカラフルな画像を使い訴えた人は誰一人として見かけなかった。彼ら彼女らからしたらアジア人差別も黒人差別も、ウクライナで起こっている虐殺に関しても切羽詰まった本当の"問題"ではないのだ。こうした海外で起こっている問題に関して前向きに考えているというポジションを取ることが彼らの目的だ。こうした問題を考えているとおしゃれな画像でそれをアピールする、これは彼らにとってのブランディングだ。しかし実際にウクライナにいる人たちは日々理由もない虐殺に怯えている。そんなウクライナの人々にとってそのようなことを考える猶予はない。彼らにそのような余裕が出てくることは当事者でない限りどうししようもないものだ。しかし様々な問題に関して当事者に近い気持ちで考えようという態度が欠落し更には無意識だとはいえ自分をアピールする材料としてこのような深刻な問題を扱ってしまう、このようなある種の呑気さは若者の中にある深刻な問題だと思う。原因には当事者性のなさや想像力の欠如だけではなくSNSが自分のプロフィールとして簡単に操作できてしまうという点にもあるだろう。こうした側面をSNSから取り除くことは決してできない。これらの暢気さが大きな問題を引き起こすことはまだ近い間にはないかもしれないが、ネトウヨと呼ばれる人々やヘイトスピーチを行う人々に若者が多く存在することからも、こうしたなんとなくでの思考が大きな問題を引き起こす要因となるのは間違いがないことだ。ネットでなんとなく目にする心地の良い情報を鵜呑みにした若者はそうした情報にのめり込みフィルターバブルに溺れていく。政治の面においてもインフルエンサーと言われている人が現職の政治家と対談したり、特定の政党が人気雑誌であるViViにモデルを多用した広告を載せたりといったことがその異様さが目立つ。現職の政治家たちにも映える存在、投票したらなんとなくかっこいい存在であれば若者は投票してくれると思われているのであろう。そこに本質的な公約や方針は関係ない。それ自体が悪いというわけでは全くないが若者に向けて投票を呼びかける宣伝も嫌にカラフルでオシャレなものが多い。このなんとなくという全てを左右する感覚の手綱をSNSに握られているのがZ世代の本質なのかもしれない。