ゴーゴー!音々の精進日記!

とりま走ってるって感じの人生をイケてるランニング人生にしていきたいのである

おしっこ我慢してる時ってそれ以外のことを本当に何も考えられなくて面白い 尿意ダイエットなどないですか?

特に何か嫌なことがあったわけでもないのにモヤモヤと嫌な気持ちが心に充満している
気にするようなことなど何一つない記憶がやけに脳内でリフレインする
周りにいる知らない人が自分を笑ってる気がする
こんな感じで心的な翳りが感じられる時、そう 病んでるのだ!
生理で来るはずだった鬱期間が昨日の緊張のせいでぶっ飛んでいたので、緊張が終わった瞬間に降って湧いてきた鬱
まあでも慣れているので深呼吸して漫画を読めばある程度は吹っ飛ばせる
けどようやって脳内を整理して言語化にしようと励むと、とたんにそうした鬱気分が復活ヒュードロドロなのである


といいながらお酒を飲んだら全てどうでも良くなった
元気です
私の気分の落ち込みは飲むだけで吹き飛ぶ安いもんなんだなあと嬉しい気持ち
嬉しい気持ちといえば、気遣いって大切だなーと思った
相手を敬っていることが何か行動一つで分かる
たとえ伝わらなかったとしても自分がその人を敬っていることを噛み締められる
良い感情の移動しかない
昔のものというと大抵が嫌煙されがちなこの世の中だけれど年上や先輩を敬ったりすることが時代遅れだとなったらそれはなんだか本当に気持ちが貧しくなったことの証のように感じる


電灯つながりというわけではないけれど文化の多様性って難しいな、と
国技や何やらで、特にスポーツの文脈ではナショナリティーがよく要として扱われる
もちろん日本ではマジョリティが日本人な訳だから日本人をそこまで丁重に守る必要はないと思うが
先人が日本代表や駅伝に日本人のみを起用したいと思う気持ちは(理解できないが)分からなくもない
文化の多様性はマジョリティがどう扱われるかについての話がおもであり今回のような話とは少し違うわけであるのだが・・
マイノリティの文化多様性だとしても難しい
丁寧にその文化を守りマイノリティの人にその文化を使用し続けることを求めることは大事だが、2世3世と行った人たちがマジョリティ文化に馴染みその文脈の中で生活しているときに親の文化を強要することは重荷になり得る可能性があり・・・
さらに文化の盗用などという問題もある
ここまで行くと私はお手げだ
よくアジア圏の文化においても盗用だなんだと問題になることが多くある
過去に虐げ占領したことがある国がそうされた過去を持つ国の文化をその文化の煌びやかさなどの一見で使用しマジョリティの力を持ってそれを金原にした時問題があるのは分かるのだが
それ以上の理解がイマイチうまくいかない
みなさん教えてくださると嬉しい


お酒の味はお茶の味と違って一緒にいる人や環境によって変わると言っている人がいて
私もいたく共感した
みんなで飲んでてあまりにもお酒が美味しく、帰った後缶チューハイを開けたときの不味さというのは単に缶チューハイの不味さだけに要因があるように思えない
未熟な時の私は缶の飲み口から飲むことに問題があると思っていたが、コップに入れて飲んでも不味かったのでそんなことではないと確信した
下戸の人には怒られそうだが、やはり対面の対人関係とアルコールというのは密接な関係にあるように思う
アルコールは人を幾分か解放させる
そうして解放された自己を他人に受け入れられた時、人は喜んだり安心したりする
そこでさらに自分を解放させるための一口を飲んだ時はそりゃ期待が孕んでいる分美味しいはずである
まあ何かというと人と食べるご飯は美味しいというけれど、人と飲む酒というのはもっと美味しいと思う
外ではたくさんお酒を飲むけれど家で1人だとお酒はそこまで飲まないという人はたくさんいる
それがこのことを端的に示しているのではないだろうか
もっと根拠を追求して論理的に考えたいところだが、私もそこそこ酔ってるのでここで退却!
足らないので美味しくない酎ハイを飲みます