ゴーゴー!音々の精進日記!

とりま走ってるって感じの人生をイケてるランニング人生にしていきたいのである

生まれ変わってもまた自分がイー!

七月も6日になってしまった
先月中盤に体調を崩してから少し日記から離れていたが、思ったよりも日数が経ったし日記に対してかなり腰が重くなってしまった
7月に入ってから1週間がびっくりするほど早く過ぎた
感覚的にはまだ6月だが、もう少しで7月も中盤
流れる時の速さに頭がおかしくなりそうだ


最近、前よりも携帯で人と連絡をとっている
前までは事務連絡や簡単な会話以外をLINEやDMですることはなかなかなかった
1時間ずっと会話をすることはあっても、1週間コンスタントに話し続けたりすることは基本的に私が返信できない人間なので選択肢にすらなかった
しかし最近、人にちゃんと返信をすると、それに返信が返ってきて嬉しいということに気づき人と会話するようになった
自分のために送られてきた文章ってだけで嬉しいし、短な文章にも暖かさを感じる
体調がそこまで良くなかった先月も、お互いの近況や愚痴を送ってきてくれる数人の友人にかなり救われた
何かに取り組みたいと意気込んでいる時などは比較的人と会う優先度が下がる
それでも隙間時間に見る友人の言葉はかなり元気が出る
普段なら会話の雰囲気や表情で伝えていた伝えたい内容のディールも、全て文字になって送られてくるのでより相手の気持ちが見えるような気もする
テキストだと普段ちょっと恥ずかしくて言えないようなことも言えたりして、あー文明乗り切って素晴らしい、と今更しみじみ実感したりした


人格淘治という言葉を今日初めて知った
人格陶冶とは「一人ひとりが、 人間として正しい生き方すなわちその人の哲学をその実践のなかで追求し、進化させ、いかなる場合でも人間として正しい行動が取れるように自己研鑽することであります。」という意味らしい(コピペです)
教養主義の文脈の中で学んだ言葉だったが、最近色々自分の内面について考え続ける期間を過ごしていたので妙にすんなり自分ごととして理解できた
最近の私はたくさん興味のあるものないものをインプットし、それに触れた時の自分の気持ちや無意識に対して能動的に考え、自分の理解を深める
そして自分の中のエネルギーを持て余してしんどくならならないために、自分の脳内を可視化できるものを作り続ける
このふたつを軸として生活している
友人たちとも基本的にどんなものに触れてどのように感じたか、自分とはどういった人間なのか、など自分の内面について話すことが多い
哲学書を読み込んでいるわけでも、エリート層になりたいという意識もないけれど
私や私の周りの友人は常に自分や社会について考え続け、悩み、勉強している
その教材は哲学書であることもあれば、音楽だったり映画、散歩だったりする
大衆的な人から差異をつけるためにこんなことをしているわけではない
ただ単により心地よく、楽しく、また濃く生きたいという強い気持ちがあるだけだ
そういう意味で今の自分や友人の状態は自己啓発本を読みエリート層を目指す教養主義的な人間よりもよっぽど人格陶冶をしているような気がする
もちろん知ったばっかりの単語だし、色々見当違いなことを言ってるかもしれないが
要するに自分の精神をより良いものにしたい、より知りたい、その状態で自分のエネルギーを無駄にしたくないと思っている私たちは、かなり良い状態でいれているのかもしれないと感じたのだ
今までは割とこのように能動的に思考し続けることは当たり前だと思っていたのだが、意外とそうでもないらしいことを最近少し知った
良し悪しではないが、このように考え行動するようになってかなり楽しくなってきた
そのことをなんだか肯定されたような気がする
自分の考えについて集中し知ろうとし続けることは意外と結構疲れるし、しんどい時は振り回されたりもするけど、私は全然このような生き方悪くないなーと思う
何かにエネルギーをかけている人間の輝きが私は大好きだ